お父さん、気づいたね! 声を失くしたダウン症の息子から教わったこと

ダウン症・呼吸器機能障害・音声言語障害のある息子のお陰で、毎日を幸せに生きられるようになった学びと気づきを綴ります。

驚き! 息子の名前にこんな意味があるとは

息子が生まれてからの物語71話目。

前回の続き。

 『息子の誕生』←ここからスタートしてます。

 

『王陽明と儒教』を読み、

声を発しないという難行、

自己修養法があることを知る。

 

息子が生後2カ月からやっていることだ。

 

更に本を読み進めると驚き、感動する。

 

 

「悟」という字は

「口を慎む」ことが字義である。

 

この字は偏ではなく旁(つくり)に意味があり

「吾」の上の「五」は「刈る」という意から

「口を刈る」、すなわち口を慎む。

 

もうひとつの説は「五」は

五本の指を表しているので、

五本の指で口をふさぐ、すなわち口を慎む。

 

双方ともに口を慎むことであり、

悟とはすなわち口を慎むことである。

 

 

息子の名前は「彰悟」。

 

私が名付けたが、発音や画数を中心に考え、

「悟り」について意識したこともなかった。
 

だが、息子の名前の

「悟」「口を慎む、悟り」であり、

「彰」「あきらかにする、あらわす」という

意味である。

 

彰悟は

口を慎み、

悟りをあきらかにする、

悟りをあらわす、

と言える。

 

息子の人生を暗示するような名前だ。

 

身体がゾクゾクする。

 

息子は今の人生を送るべくして

送っているかもしれない。

 

 

幽山渓谷にはいって滝にうたれて修行する、

いわゆる雲水のような行だけが修行ではない。

 

われわれの人生、

その気になればいたるところ修行の場である。

 

陽明学では常に、

どこでも自分がおかれたところで

修養することを「事上磨錬(じじょうまれん)」

といい、これを非常に重んずる。

 

事情磨錬の「事」とは

人生のあらゆる場面のことと思ってよい。

 

あらゆる場面を通じて自分を磨いていく。

そうすれば人生いたるところ修行の場である。

 

人との応対・応接、仕事の交渉、

友人との会話、家族との会話、

みな事上であり自分を磨く舞台である。

 

先の蕃山先生の「口を慎む」というのは、

事上磨錬の身近な日常的な修養といえる。

 

 

息子の魂は、声を出せない人生を通して、

事上磨錬で修養し、悟りへと至り、

悟りをあきらかにし、

私に人生を教えてくれているかもしれない。

 

息子への敬意と

息子の父として生きられることに

喜びと誇りを感じた。

 

私の人生の目的は、事情磨錬で修養し、

人間力を高めること、魂を磨くこと、

そして、一歩でも悟りへ近づくこと、

その結果として、

社会にもいい影響を与えられたら、

と思うようになっていく。

 

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学校での息子(13歳)

続く...。

 

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