息子が生まれてからの物語45話目。
前回の続き。
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退院して自己抜管はあったが、
日常生活はこれまで通りで、
特に変わりなく元気に過ごしていた。
9月の最終土曜日、
養護学校(現在は特別支援学校)に入学して
初めての運動会。
特別支援学校は小学部・中学部・高等部と
12学年が一緒に行う。
息子は小学部1年生で、
身長も1メートルちょっと小さく、
(4歳児の平均ぐらい)
遠くから見ているだけでもかわいい。
「しょうちゃ~ん」
ついつい声掛けしたくなる。
息子のメインの競技が「かけっこ」。
息子は、呼吸器の障がいもあり、
普段走ることもほとんどなく、
走れるだろうか?
と、期待と不安で息子の順番を待つ。
運動場中央に直線のかけっこのコース。
ゴールには、アンパンマンやドラえもんの
キャラクターの絵が描かれた看板が待っている。
「よーい、どん!」
スタートの合図で、
こどもたちが走り出す。
なんと、
息子も他の子と同じように
元気にゴールへ向かって
勢いよく走る!
家族みんなびっくり!
「しょうちゃ~ん、
頑張って~!」
短い距離だが、
息子が全力で走るのを初めて見た。
「しょうちゃん、
凄いね~!
走れるんだ~!」
お昼休みも運動会が終わっても、
「しょうちゃん、
頑張ったね~
凄いね~」
と息子をたたえる。
それから、
私は無意識のうちに
息子が運動会で頑張って走るのを期待していた。
翌年の運動会では、
まったく走らず、ゆっくり歩く。
「しょうちゃん、
頑張って~!」
と言っても無反応。
ちょっと残念。
その翌年の運動会もゆっくり歩く息子。
運動会で走ったのは、
結局、小学部1年生の時だけで、
それ以降はまったく走らなかった。
最初は、「頑張って~」と
息子が頑張って走るのを応援していたが、
次第に、私の意識が変わっていく。
頑張らなくていいよ。
走っても走らなくてもいいよ。
そんなことで息子への想いは変わらない。
自分らしく生きていけばいいんだ。
続く...。
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