お父さん、気づいたね! 声を失くしたダウン症の息子から教わったこと

ダウン症・呼吸器機能障害・音声言語障害のある息子のお陰で、毎日を幸せに生きられるようになった学びと気づきを綴ります。

生き方を測る物差しはいくつもある

人間学を学ぶ月刊誌『致知』に掲載され、

読者の方から、お手紙やSNSを通じて

たくさんのメッセージをいただきました。

何らかのお役に立てているようで

嬉しく、そしてありがたく思っています。

 

『致知』は定期購読のみですが、

致知出版社様のWEBでも記事が公開されました。

4ページの記事の3分の1ぐらいですが、

お読みいただければと思います。

 

その中から抜粋して紹介させていただきます。

 

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息子が生まれてから1か月後、検査結果を聞きに病院を訪れた私たちは、息子がダウン症であることを正式に伝えられます。私はある程度、心の準備ができていたものの、初めてダウン症だと聞かされた妻は大きなショックを受け、愕然としていました。

 

それでも、息子はまもなく退院し、出産から42日経ってようやく家族皆で暮らせるようになりました。最初は不安でしたが、実際に息子と暮らし始めると、見た目は普通の赤ちゃんと変わらず、本当に可愛いのです。その愛らしい姿に接して、私も妻も「将来どうなっていくかは分からないが、いま、一緒に過ごせる時間を大切にしよう」という前向きな気持ちになっていきました。

 

しかし、息子はその後、何度も命の危機に直面します。生後2か月を迎えた頃、息子は突然むせびだし、肋骨が折れるかと思うほど激しい呼吸になりました。「息ができない、お父さん、お母さん、助けて!」と叫び声が聞こえてくるようでした。慌てて病院に連れていくと、肺炎の影響で気道が塞がりかけており、気道確保のため口から肺まで管を押し入れる救急処置が行われました。最終的には、福岡市内の子供専門病院で気管切開の手術を受け、息子は声を失うことになるのです。

 

その後も、2歳までに肺炎で5回の入院、12歳までに気管の手術を6回行い、入退院を繰り返します。もはやダウン症がどうというよりも、「生きていてほしい」「口から呼吸できるようになり、声が出せるようになってほしい」という思いだけでした。息子が成長していくにつれて次第に知的障がいも重度であることが分かっていきますが、それが問題だとは思わなくなっていました。

 

(中略)

 

いま振り返れば、不思議なことに、私の意識が仕事や外に向かい過ぎると息子は体調を崩して入院し、家庭に意識が向くと回復に向かっていたように感じるのです。もしかしたら、息子は自らの体を通じて「家族のことをもっと大事にしてね」というメッセージを私に伝えてくれていたのかもしれません。実際、息子の傍にいると心が安らぎ、息子がそこにいるだけで幸せを感じている自分に次第に気づいていきました。

 

また、息子の特別支援学校の運動会で応援していた時のことです。息子はダンスでも競技でも、周囲に合わせることなく自分の好きなように体を動かし、楽しんでいました。リレーで私たちが「頑張れー」と応援しても走ろうとはしないし、バトンをもらってもゆっくり一歩一歩自信に溢れた姿で歩いていきます。そんな息子のありのままの姿に接した私は、「競技は型通りにしなければならない」「リレーは走らなければならない」など、自分が当たり前だと思っていたことが、自分の思い込みだったことに気づいていったのです。

 

人の生き方は一つの物差しだけで測れるものではない。一番になるのが好きな人もいれば、勝ち負けにこだわらない人もいる。早く走るのが好きな人もいれば、ゆっくり歩くのが好きな人もいる。息子と接していくにつれ、私の価値観は確実に変化していったのでした。(後略)

 

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