お父さん、気づいたね! 声を失くしたダウン症の息子から教わったこと

ダウン症・呼吸器機能障害・音声言語障害のある息子のお陰で、毎日を幸せに生きられるようになった学びと気づきを綴ります。

声の出せない息子の内言語

息子が生まれてからの物語29話目。

前回の続き。

『息子の誕生』←ここからスタートしてます。

 

1998年7月、博多駅東支店へ転勤。

 

住まいは、福岡市中央区の社宅。

職場までは2kmで、

こども病院へも4kmとかなり近くなった。

 

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娘と息子、福岡の社宅

通院も私が仕事を休むことなく、

妻が車で連れていけるようになるし、

息子の体調に異変があっても、

すぐにこども病院で対応してもらえる。

 

本当に助かる。

銀行には感謝だ。

 

ただ、社宅が築40年以上とかなり古く、

ずっとは住めないな~と思った。

 

こども病院では、

息子を育てるときに気をつけることとして

 

「できるだけ泣かないように

 してください」

 

と言われていた。

 

泣くと呼吸ができなくなり、

呼吸器に障害がある息子にとっては

体に負担がかかり、

血のめぐりも悪くなるらしい。

大泣きした後に、

体に赤く小さいポツポツができたこともある。

 

赤ちゃんは泣くのが仕事のようなものだが、

できるだけ息子が不快な状態にならないよう

気をつけていた。

 

そして、こども病院の先生から

新しく息子用の子育てのアドバイスがあった。

 

息子は2歳になったが、

気管の状態は変わらず、

口からの気道は塞がったまま。

 

2、3年たったら治るかも、

と期待していたが、それも難しく、

改善しそうな目途も立たない。

 

いつ声が出せて話ができるようになるかは

わからないが、その時期がきたら、

できるだけ言葉が出せるように

 

「できるだけたくさん

 話しかけてください。

 彰悟くんの内言語が

 発達しますから」

 

と言われた。

 

内言語とは、頭の中で考えている時の言葉だ。

 

声には出せないけど、

言葉を知ることによって

頭の中に言葉が増えていき、

将来、息子が話ができるようになった時に

言葉を出しやすくなるようだ。

 

それまでも話しかけてはいたが、

先生からのアドバイスによって

これまで以上に息子に話しかけるようになった。

 

「しょうちゃん、おいしい?

 これがトマト。

 この色は赤よ」

 

「これ熊さんよ。

 ここがお目目で、

 ここがお耳で、

 ここがお鼻。

 これはお口。

 お母さんは大きくて、

 この熊はちっちゃいね」

 

妻や娘、私も家族みんな

息子への言葉が増えてきた。

 

息子が言葉をわかっているか

わかっていないかは、わからないが、

やれることは可能な限りやっていった。

 

続く…。

 

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