お父さん、気づいたね! 声を失くしたダウン症の息子から教わったこと

ダウン症・呼吸器機能障害・音声言語障害のある息子のお陰で、毎日を幸せに生きられるようになった学びと気づきを綴ります。

幸せ家族プロジェクト~相手に寄り添う気持ちから~②

息子が生まれてからの物語88話目。

前回の続き。

『息子の誕生』←ここからスタートしてます。

 

2008年6月、ぼくが12歳になった時、

お父さんは会社を辞めて独立したね。

 

以前のお父さんは、ぼくのことを

「かわいそう、守ってやる」

こんな風に思っていたよね。

 

でも、この頃から、

ぼくのすべてを信じ

尊敬してくれるようになったね。

 

ぼくはお風呂で遊ぶのが大好きで、

お父さんはぼくを思う存分

遊ばせてくれるようになったね。

 

前は、お父さんがお風呂から上がる時は、

ぼくに遊びをやめさせていたけど、

この頃から、長い時は30分も

ずっとそばで待っていてくれていたね。

 

ぼくは、これがいつまで続くか

様子を見ていたんだよ。

本当にぼくに寄り添う気持ちで待っていたのか、

その場の思いつきか。

 

1カ月、2カ月、3カ月、

ずっと待ってくれていたね。

半年後、待ってくれているお父さんを見て、

ぼくはお父さんを信じることにしたよ。

 

 

私は学生時代から真面目で、

大学は経済学部で、熱心に勉強していました。

大学生の時から20年以上、経済新聞を購読。

就職も地元の銀行へ。

仕事でも成果を上げ、頭取表彰も受賞。

同期トップで課長にも昇進。

 

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その後、転職先でも

社員120名を抱える子会社の社長へ。

 

私の人生の目的は、

仕事で成果を上げること、出世、お金でした。

 

そんな私を家庭に振り向かせるように、

彰悟が生まれ、

病気・入院・手術を繰り返します。

 

妻は、彰悟が生まれてからは、

付き添い入院を繰り返し、

退院後も彰悟から目を離すことができません。

自分の自由になる時間はほとんどありません。

 

彰悟が学校に通い始めてからも、

送り迎えやたんの吸引で

2時間おきに学校に行きます。

 

妻が1人で自由に動ける時間は、

その合間の1日に3回だけ。

その自由時間も学校から呼び出されることも

度々あります。

夜寝ている間も、

彰悟の体調が良くない時は、何度も起きます。

 

私は妻に彰悟を任せ、

仕事や自分のやりたいことに時間を使います。

「仕事が忙しい」と言いながら、

妻の悩みや不安には無関心。

そんな状態が10年続いた。

 

そして、彰悟の病気のこともあり、

仕事も変わり、2008年に独立、

人の成長を応援する仕事を始めました。

 

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独立して最初は計画通りにすすんでいた仕事も

半年後に行き詰ります。

 

「どうして上手くいかないんだ?」

 

生活の不安と先の見えない恐怖が襲ってきます。

 

そんな私を責めることなく、

いつもあたたかく見守ってくれる妻がいました。

妻は私に「信じてるよ」って言ってくれました。

 

私は決心しました。

 

世界最幸の家族にする!

家族を絶対幸せにする!

 

続く...…。

 

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