息子が生まれてからの物語87話目。
前回の続き。
『息子の誕生』←ここからスタートしてます。
プレゼンムービーが完成したのは1時間前。
映像にシナリオを合わせて言う練習は
3回しかできなかったが、
やるだけのことはやった。
いよいよ私のプレゼンだ。
ステージに立ち、観客の視線を感じる。
深呼吸。
映像が流れ始め、プレゼンスタート。
ドリームプラン・プレゼンテーション2011
in 福岡
『幸せ家族プロジェクト
~相手に寄り添う気持ちから~』
私の理想の世界は、
どんな人でもどんな時でも、
その人のありのままの素晴らしさを認め、
寄り添い応援する世界。
私の息子、彰悟のまわりには
いつも、そんな世界が広がっています。
彰悟はダウン症と呼吸器機能障害があり、
普通の子とはちょっと違います。
「運動会」
彰悟のダンスや競技は型にはまっていません。
自分の好きなように自由に体を動かし、
楽しんでいます。
リレーは、バトンをもらっても、
ゆっくりと一歩一歩、自信にあふれた姿で
歩いていきます。
リレーだからと言って、
走らないといけないなんて、思っていません。
世の中の常識にしばられることなく、
ただ、ありのままの彰悟がいます。
私はそんな彰悟が大好きです!
周りのみんなも「彰悟君頑張って~!」って
寄り添う気持ちで応援しています。
「書道教室」
彰悟は文字を書けません。
筆の握り方の基本もできていません。
でも、思いのまま自由に筆を振り回し、
時には太鼓をたたくようにドンドン・バシバシと
書きなぐります。
書道の先生も、周りのみんなも、
「彰悟君凄いね!」「芸術家だね~」って、
いつも彰悟に寄り添う気持ちで応援しています。
ぼくは彰悟。1996年6月29日に生まれた。
その日、お父さんは、僕がダウン症だと知った。
戸惑っていたようだった。
翌日、ぼくは血液検査で異常があり、
総合病院へ転院。
家族みんながぼくのことを心配し始めた。
1カ月後、ぼくは退院。初めての自宅へ。
それから1カ月が経ち、
ぼくは突然呼吸が苦しくなった。
息ができない!
ぼくは呼吸をするために
力一杯胸を上下に動かした。
お父さんやお母さんは青ざめながら、
夜の街を病院に向けて車を走らせた。
肺炎で緊急入院。
ほとんど塞がりかけた気道を確保するために、
口から管を挿し入れられた。
この時、ぼくは声を失った。
呼吸ができるよう気道を確保するため、
首の下の方に穴を空ける気管切開の手術を受けた。
4カ月振りに退院。
家族みんなで楽しい生活に戻れたよ。
それからも何度か手術を受けながら、
ぼくを中心に家族が少しずつ変わっていった。
続く...…。
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