『悩む力 べてるの家の人びと』を紹介しながら
私が息子と過ごす中での学びと気づきを書いた
シリーズ3つ目の記事です。
(べてるの家は北海道にある精神障害を抱えた方のという共同体)
前回の続きです。
「自立できることが唯一の道?」←ここからスタートしています。
健常者から見ればおよそ非常識で、欠点と不可解な言動ばかりが目立つ彼らだが、そうしたすべてのことをとおして見えてくるのは、彼らのかけねのない正直さともいえる生き方なのである。病気があっても、いや病気があるがゆえに、彼らはあるがままの自分をそのままに生きている。
そのような彼らとともにいるうちに、訪問者はそこにあぶりだされてくるのがけっして精神障害者の真実の姿などではなく、彼らの前にいる自分自身なのだということに気づくのである。飾らず、作らず、そのままで生きているべてるの人びとの前にいるとき、仮面をかぶり、体面をとりつくろうことに懸命で、いつもまわりの評価を気にして奮闘し、気が休まることのない「こっけい」な自分というものが見えてくる。
息子の場合は知的障害や呼吸器の障害があり、
私たちが普通と思っていることと違う行動が
たくさんあります。
でも一緒にいて感じるのは、
自分を飾らないこと。
自分の気持ちに正直であること。
以前の私は、
そのことに何の関心もありませんでした。
頑張って、努力して、結果を出し、
周囲の人、社会から評価されること。
それが生きていく上で大切なことであり、
幸せにつながることだと思っていました。
頑張るのも、努力するのも、
自分の内面から湧き出てくるものは
自分の気持ちに正直だと思うのですが、
自分が思い込んでいる社会規範だけ
(周囲の人や社会の評価)を動機にしていると、
達成感や充実感は得られるものの、
本当の意味で心は満たされません。
私たち一人ひとりが本来持って生まれた
自分の人生を生きているとは言えません。
このことに気づけたのは……やはりべてるの家にかかわったからだと思います。ある時を境に、私はできるだけ「あるがままの自分」で、生活しようとしています。そこには自分を自由にした自分がいました。この過程の中でわかったことは、私が精神障害者を理解することではなく、理解されたがっているのは私自身だったことです。
そしてべてるとは、私たちいわゆる健常者が一方的に何かをしてあげる場所ではなく、自分自身をもう一度見つめ直す場でもあることを知ったのです。
息子のお陰で、会社勤めを辞め、独立し、
自分の気持ちを大切にして
仕事も生活もするようになっていきました。
そして私の中で「幸せ」というものの
価値観が変わっていくのです。
続く……。
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