お父さん、気づいたね! 声を失くしたダウン症の息子から教わったこと

ダウン症・呼吸器機能障害・音声言語障害のある息子のお陰で、毎日を幸せに生きられるようになった学びと気づきを綴ります。

治療は困難、大学病院へ

息子が生まれてからの物語35話目。

前回の続き。

『息子の誕生』←ここからスタートしてます。

 

仕事を終え、こども病院へ向かう。

 

息子は気管孔拡大手術を無事に終えていた。

首の下の方の気管孔の周りには血が滲んでいて、

見るからに痛ましい。

 

「しょうちゃん、頑張ったね。

 しょうちゃんは、すごいよ。

 こんな苦しいことに耐えて」

 

私は言葉を掛けるが、

息子は苦しそうな表情をしたままだ。

 

 

 

泣き声も出せず、

苦しさを訴えることもできない。

息子の目にはがうっすらと涙が浮かび、

ただ耐えている。

 

「苦しいよ。辛いよ」

 

と泣き叫ぶだけでも癒されるのに、

それすらできない。

 

 

こども病院の先生から話があった。

 

生まれて5カ月後の気管切開の手術時には、

気管軟化症で塞がった気管もいずれは治り、

気管切開を閉じ、声を出せると言われていた。

 

だが、何も変わらないまま5年が経ち、

今回の気管孔拡大手術時に

気管の状態を詳しく診てもらい

その結果報告の話だった。

 

「彰悟くんの気道は

 完全に塞がったままで、

 こども病院での治療は

 難しい状況です」

 

「えっ、どうなるんですか?」

 

「そこで、提案なんですが、

 九州大学病院を

 紹介しようと思います。

 彰悟くんの様な症例の

 専門の先生がいて、

 その先生に診てもらえば、

 治る可能性もあります」

 

「治る可能性があるんですね。

 是非、紹介してください」

 

紹介された先生は、

九州大学耳鼻咽喉科の先生で、

気管・咽頭・音声障害の治療や手術で

日本でもトップクラスの医師だった。

 

息子の気管の回復が見通せない状況の中、

光が見えてきたように感じた。

 

 

手術の3日後、息子は無事退院。

これまで通りに元気に過ごせるようになった。

 

この頃から、こども病院への定期通院と同時に、

九州大学病院でも診てもらうことに。

 

 

 

私は宇美支店に転勤して10カ月が経過、

仕事も順調で、

ある取引先から転職の誘いを受けた。

 

転職の誘いも何回目かだったので、

 

「そうおっしゃていただき、

 ありがとうございます」

 

と言いながらも、

銀行を辞めるということは

まだ考えもしなかった。

  

続く…。

 

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