お父さん、気づいたね! 声を失くしたダウン症の息子から教わったこと

ダウン症・呼吸器機能障害・音声言語障害のある息子のお陰で、毎日を幸せに生きられるようになった学びと気づきを綴ります。

息子は6歳、変わらぬ妻の介護

息子が生まれてからの物語38話目。

昨日の続き。

 『息子の誕生』←ここからスタートしてます。

 

2002年、4月も終わりに近づいた頃。

息子の手術に向けての検査入院が決まり、

転職のお誘いを考え始めた。

 

息子の検査入院が10月なので、

もし転職するなら銀行を9月末で退職。

10月は息子の付き添い。

11月から新しい会社へ。

 

銀行の就業規則で退職に関する規程を調べた。

 

退職する場合は、

14日前に所属長を経て退職願を提出し、

発令までは引き続き勤務しなければならない。

 

14日前というと9月16日。

9月の上旬まで考える期間がある。

転職の決断まで5カ月弱。

 

そこで転職しなければ、

ずっと銀行で働くことになるような気がした。

 

6月、息子は6歳の誕生日を迎えた。

 

翌年の春から、小学生に。

息子は養護学校の小学部に入学することになる。

 

その頃には無事手術を終え、

学校に通う頃には声が出せますように。

と祈った。

 

7月、私は課長へ昇進。

 

銀行に入行して10年3カ月。

最短での課長への昇進だった。

同期の大卒男子100人中

最短で課長に昇進したのは10人。

 

前々年に頭取賞も受賞していて 

仕事も順調、やりがいも更に増えた。

 

ただ、息子の手術と転職のことは、

いつも頭から離れない。

 

転職の相談ができるのは、妻だけ。

 

銀行の同僚や先輩、

両親や友人に相談はできなかった。

 

「仕事も順調なのに、

 銀行を辞めるなんて、

 何考えているの!」

 

と言われると思った。

 

妻は、息子の介護で

息子から目を離すことができない。

 

声が出せれば、見ていなくても

その音で、わかることもある。

 

息子は泣いていても、声が出ないので、

見ていないと気づかない。

 

痰(たん)の吸引もあり、

体調がよくても1、2時間置きには吸引、

体調が悪ければ夜中も吸引でほとんど寝れない。

 

息子の病気や障がいに対応できる病院は

福岡市内のこども病院と九大病院しかない。

 

その状況で、

もし私が銀行で遠方に転勤になったら、

単身赴任するしかないが…。

 

平日私が息子にしてあげられることはないが、

夜、息子の寝顔を見て

妻の話を聞くだけでもよかった。

 

妻の願いは、

 

家族みんなで

ずっと一緒に暮らしたい。

 

それだけだった。

 

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給食を食べる息子

続く...。 

  

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